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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)5658号 判決 1980年10月22日

原告

加藤守男

外二名

右三名訴訟代理人

坂根徳博

被告

右代表者法務大臣

奥野誠亮

右指定代理人

野崎弥純

外一名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

第一本件不起訴事件記録の廃棄

<証拠>によれば、昭和四九年一〇月一九日午前六時二五分ころ、神奈川県茅ケ崎市浜須賀一八番地先路上において、乗用車が道路左端にある街路燈鉄柱に衝突し、そのため右乗用車に乗車していた亡武司、亡清治の両名が即死し、訴外広瀬恵子が負傷したこと、及び、神奈川県警茅ケ崎警察署警察官は、同日右事故現場において実況見分を行い、実況見分調書を作成したこと、が認められる。

茅ケ崎警察署司法警察員は、右事故を亡武司に対する業務上過失致死被疑事件として同年一一月二七日横浜地方検察庁検察官に送致し、同地検検察官は同月二九日、右事件を、「被疑者死亡」を裁定主文とする不起訴処分に付したこと、及び、暫定要領の定める右不起訴事件記録の保存期間は昭和五〇年一一月二八日満了し、同地検係官が昭和五一年六月一九日右不起訴記録を廃棄したことは、当事者間に争いがない。

第二刑事記録保存義務に関する主張について

なるほど、原告らの主張するように、民事訴訟において、裁判所から保管庁たる検察庁等に対し刑事記録の送付嘱託がなされ、保管庁が右嘱託に応じて裁判所へ記録を送付することにより、実況見分調書等の刑事事件記録が民事訴訟における証拠資料として提出されることがあるのは顕著な事実である。

しかしながら、刑事記録は、元来、捜査遂行、検察庁における事件の処理にあたつての判断、刑事裁判所による真実発見等の、刑事司法手続における諸目的に資するために、作成されるものであつて、たとえ、民事訴訟手続において証拠資料として提出され、右審理に資するという事例があるとしても、そのことは刑事記録の前記のような作成目的に何らの影響をも与えるものではなく、右記録は、もつぱら、刑事司法手続における前記諸目的のために利用されることが予定されているものであるといわなければならない。

また、刑事不起訴事件記録は、被疑者、参考人その他事件関係人の名誉、人権等を保護する立場から、公益上の必要性がある場合を除いてはこれを公開してはならないのであり、前記のように、民事訴訟事件の審理を担当する裁判所から刑事不起訴事件記録の送付嘱託のあつた場合、保管庁たる検察庁が右嘱託に応じて記録を送付する義務を負う(それも右趣旨に反しない限度である)としても、それは、国家機関として司法事務に協力する義務を負うことの結果であつて、民事訴訟における訴訟当事者自身が閲覧請求権を有するからではない。

刑事記録の作成目的及び刑事不起訴事件記録の民事訴訟における利用に関する法律関係について右のように解すべきである以上、刑事記録の保管についても、刑事事件関係者の利益と捜査、公判等の刑事司法手続に資するという本来の目的達成のための必要に応じた保存期間を定めその事務処理を行えば足りるものというべきである。前記のように刑事不起訴事件記録が民事訴訟手続において証拠資料として提出され審理に資するという事実があるからといつて、そのことから直ちに、保管庁たる検察庁が、民事訴訟における当事者の便宜をも配慮して保存期間を定め、刑事記録を保管しなければならない義務を負うものということはできない。

したがつて、国に民事訴訟を配慮して事故の発生後最低三年間実況見分調書を保存すべき義務があることを前提として保管義務違反の違法をいう原告らの主張は、これを採用することができない。

第三刑事記録保存の取扱いの変更に関する主張について

一1  検察庁における刑事記録の保存が、昭和一三年五月一日から昭和四五年一二月三一日までの間は保存規程により、昭和四六年一月一日以降は暫定要領により、行われていること、及び昭和四九年一一月一日までの間右暫定要領が部外秘の扱いとされていたことは、当事者間に争いがない。

2  <証拠>によれば、本件のような、業務上過失致死被疑事件において「被疑者死亡」を裁定主文として不起訴処分に付された事件記録の保存期間に関して保存規程及び暫定要領の定めるところは、次のとおりであることが認められる。

保存規程には、右保存期間について次の条文が存在する。

二七条 不起訴記録の保存期間に関しては、第二五条の規定を準用す但し微罪処分又は起訴猶予に係るものは五年間之を保存すべし。

二五条 刑の言渡を為さざる終局判決又は予審免訴の決定ありたる場合に於ては記録は左の区別に依り之を保存すべし但し公判に付するに足るべき犯罪の嫌疑なきことを理由とする予審免訴の決定ありたる場合に於ては公訴時効の期間又は再起訴に係る事件の記録の保存期間之を保存すべし。

二  有期刑に該る事件 五年

三  罰金に該る事件  三年

三七条 刑事記録其他の書類の保存期間は別に起算日を定めたるものを除くの外裁判の確定其の他事件完結の日より之を起算す。

暫定要領には、右保存期間について、

第三  不起訴事件記録の保存期間

一  不起訴事件記録の保存期間は、別表第三のとおりとする。

二  前項の保存期間は、不起訴の裁定をした日から起算する。

との規定があり、右「別表第三」には、「規程第七〇条第二項第一号から第一四号までに掲げる裁定主文により不起訴処分に付された事件記録」の保存期間は、一年と定められている。右「別表第三」の引用する「事件事務規程」(昭和三七年九月一日法務省刑事(総)秘第一〇号訓令検事総長、検事長、検事正あて)七〇条二項は、次のとおり。

七〇条二項 不起訴裁定の主文は、次の各号に掲げる区分による。

一  被疑者死亡 被疑者が死亡したとき。

3 また、<証拠>によれば、保存規程は、「裁判例要旨集(刑事訴訟法1)」(最高裁事務総局編・昭和三三年九月一五日財団法人法曹会発行)六四一頁以下に登載されていることが認められる。

二右認定のとおり、たしかに、暫定要領は、本件のような業務上過失致死被疑事件において「被疑者死亡」を裁定主文として不起訴処分に付された不起訴事件記録については、保存規程の定める従来の保存期間を、短縮している。

しかしながら、既に述べたとおり、刑事記録は本来刑事司法手続のために作成・保存されるものであり、ことに刑事不起訴事件記録は、被疑者、参考人その他刑事事件関係人の人権と名誉の保護から公益上の必要がない限りこれを公表してはならないのであつて、民事訴訟における当事者としての国民一般の便宜を考慮して記録の保管等をする義務はないのであるから、したがつて、これらの者のために記録の保管の取扱い方に関する事務的な諸規程を公表する法的な義務がないものといわなければならない。

また、保存規程が「裁判例要旨集(刑事訴訟法1)」に登載されていることは前記認定のとおりであるが、法規上、右規程を官報に登載する等して、公表することは義務づけられていないのであつて、これが「裁判例要旨集」に登載されていたとしても、それは右規程を国民一般に告示・公告したというべきものではなく、右規程の取扱が秘密性を有していなかつたため、右「裁判例要旨集」に登載し、裁判事務取扱いの便に供したにすぎないもの(元来、右「裁判例要旨集」は裁判事務取扱の便宜のための内部資料として作成されたものであることは当裁判所に顕著な事実である。)というべきである。したがつて、不起訴事件記録の保存期間に関する従前の取扱いが右「裁判例要旨集」に登載されていたからといつて、そのことから右取扱いを変更するに際して取扱い変更の事実を国民一般に告示・公告すべき義務を生じると解することはできない。

(なお、前記保存規程及び取扱要領は訓令、通達として発せられたものであり、刑事不起訴事件記録が公開されないことを原則とするものである以上、右保存規定及び取扱要領の不起訴記録に関する部分は、検察庁内部における事務処理上の通則を定めたにすぎないものというべきであり、したがつて、右記録保存に関する取扱いについての定めを刑事事件関係人の利益と刑事事件処理上の便益から一方的に変更し、これを公表しなかつたとしても、それが右記録取扱いに関する目的を著しく逸脱している等の事情の認められない限りなんら違法の問題は生じないというべきである。

刑事不起訴事件記録の保存期間が短縮されそれが公表されないことにより、文書送付嘱託による右記録の顕出が困難となり民事訴訟事件における立証活動が阻害される場合の生ずることもあるのは否定し得ないが、元来、刑事記録は刑事司法手続のため作成・保管されるものであり民事訴訟における当事者の便宜を配慮して作成・保管されるものではなく、加えて、これに代え他の証拠方法により同一事実を立証することも不可能ではないことを考慮すれば、特定の民事訴訟事件の立証活動を妨害する意図のもとに秘密裡に刑事不起訴事件記録の保存期間を敢えて短縮したのでない限り(本件においては、かかる事実を窺わせる証拠はない。)、記録の保存期間が短縮されそれが公表されないことにより民事訴訟事件の立証の困難さが生じたとしても、これについて責を負うものと解すべき理由はない。)

したがつて、国に刑事不起訴事件記録の保存期間を短縮したことを国民一般に公表すべき義務があることを前提としてその違反による違法をいう原告らの主張もまた、これを採用することはできない。

第四結論

以上のとおり、原告らの右各主張はいずれも失当であつて採用することができないから、原告らの本訴請求はいずれもその前提を欠くものであつて、理由がない。

(なお、<証拠>によれば、東京地方裁判所において、原告守男、同シズ江の両名を原告とし、訴外義治及び同茂子を被告とする同地裁昭和五一年(ワ)第一一〇七六号事件(「本件事故当時乗用車を運転していたのは亡清治であるから亡武司の死亡による損害の賠償を請求する。」というものである。)と、訴外義治、同茂子の両名を原告とし、原告守男、同シズ江、同賢二の三名を被告とする同年(ワ)第九〇七一号事件(「本件事故当時乗用車を運転していたのは亡武司であるから亡清治の死亡による損害の賠償を請求する。」というものである。)が、併合審理されていた事実が認められる。しかしながら、<証拠>によれば、右両事件の審理においては、本件事故当時本件事故現場を撮影した写真が証拠として提出され、同乗者広瀬恵子が証人として出廷して証言しているほか、本件事故当時、神奈川県警茅ケ崎警察署交通課員として事故現場での実況見分実施及び実況見分調書作成に従事した白石徹也、及び、事故当時、同署交通課長として実況見分をはじめとする本件事故についての捜査の指揮にあたつて若林俊明の両名が証人として出廷し、現場見取図、事故当時の現場写真を示すなどして証人尋問がなされて、事故直後の現場の状況、実況見分の結果、事故直後における同乗者広瀬恵子の供述内容、亡武司、亡清治両名の受傷状態等について詳細な証言を行つていることが認められるのであつて、右事実に照らせば、実況見分調書が右審理において利用できなかつたことにより原告らが右審理において具体的な不利益を被つたということはできないから、いずれにしても、原告らの本訴請求は理由がないものといわねばならない。)

よつて、原告らの本訴請求は、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(越山安久 星野雅紀 三村量一)

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